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金剛法山願照院大樂寺「大楽寺」 (御本尊 阿弥陀如来 中興開山 法印祐長 )は智積院を総本山とする真言宗智山派に属す寺院である。その開基は寛仁3年(1019)と伝えられているが定かではない。境内から出土した石碑によれば、少なくとも平安末期には堂宇があったとされ、当時は七堂伽藍が整った道場として極楽寺と呼ばれるほど勢大で、その敷地も現在の境内より約200m南までおよんでいた。また戦国時代頃には後北条氏の軍勢が闇夜に新田氏を追って寺に火を放った記録が残されている。江戸時代、徳川二代将軍秀忠が、自らの子である三代将軍家光の健康を祈り、経文一巻と朱印を奉納した。同時に葵の御紋の使用を認め、現在でも見ることが出来る。 | |
大楽寺と玉川八十八カ所霊場玉川八十八カ所霊場は、第一番の川崎大師から、第八十八番の宝幢院まで | ![]() |
御詠歌講御詠歌(ごえいか)は、仏さまの教えをやさしい言葉と美しい音律でお唱えするもので、「唱える」ことによって、私たちの声と大自然の万物とが響き合う、宗教的な喜びを味わうことができます。そして、繰り返しお唱えすることで、仏さまやお大師さまの教えを深く理解していくことができるのです。 真言宗智山派の密厳流御詠歌には、お釈迦さまや弘法大師、興教大師、また総本山智積院や巡礼・遍路、さまざまな法要に関するものなど60曲ほどがあります。 五・七・五・七・七の和歌に曲をつけたものを「詠歌」、七五調または五七調の詩に曲をつけたものを「和讃」といいますが、この二つを合わせて御詠歌といいます。 御詠歌を「唱える」それは自分を昇華させるだけでなく亡き人への供養、さらに御詠歌講(遍照講支部)の講員になると、「信心に基づくやさしい仲間ができる」という大きなご利益があります。 | |
日本ボーイスカウト 東京連盟 大田第11団 ボーイスカウトはイギリスの退役軍人のロバート・ベーデン=パウエル卿(以下 B-P と表記)が、イギリスの行く末を懸念し、将来を託すことの出来る青少年の健全育成を目指して創設した青少年運動である。実社会で先駆的な立場に立てるように、身体を実際に動かし、形に囚われない戸外活動を通じて心身ともに健全な青少年の育成と教育を目的とします。 | |
大楽寺会館のご案内 大楽寺会館では、家族葬から一般的な葬儀お葬式がとり行えます。葬儀(お葬式)をとり行う式場として場所を借り、お通夜からご葬儀(お葬式)までを行い、最寄りの火葬場に向かうという流れになります。 式場本堂1階、椅子席60名 ・ 控室60名 | ![]() |
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真言宗智山派とは 真言宗は空海(弘法大師)により開かれました。高野山を研学修行の道場とし、教王護国寺を秘法厳修の根本道場と定めて、その教風を宣揚し、承和2年高野山に入定しました。 後に覚鑁上人が高野山に大伝法院・密厳院を建立し教学の振興を図りました。しかし、金剛峰寺と相容れず、根来へ下りました。根来山も隆盛を期しましたが、豊臣秀吉により攻められ、時の智積院玄宥は難をのがれ洛東に寄り、徳川家康の外護を得て智積院を再興しました。以来多くの名僧を輩出し、学山の名を高くしました。 同じ根来学派の豊山学派(総本山 長谷寺)とともに真言宗新義派と称し、ついで智山と豊山両学山に分かれて新義真言宗智山派、新義真言宗豊山派と公称しそれぞれ独立しました。 さらに昭和26年に宗教法人法が公布されるに及んで「真言宗智山派」と公称し信仰培養の根本道場として現在に至ってます。 |
真言宗の焼香のマナー
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